今日は、比叡山人工スキー場跡のやや北側斜面にあると思われる高祖谷駅を目指すことにする。
山科までJRで出て、そこから地下鉄東西線に乗り換える。蹴上駅で、ちょっとした出来事があった。
ややブレーキがきつかったかな、と思っていたら、案の定、停車位置を修正する旨の放送があり、30cmほど前進して改めて停車、ドアが開いた。
「あれ・・・・?」
たしか東西線はATOでの列車制御の筈。発車時に、運転手が安全確認ボタンを押すだけで、加速、減速そして停車する自動運転システムなのに、停車位置を誤るとは・・・。まあ、この時期のこと、新人運転手の習熟のため、手動運転をしていたのかも知れないが、思わぬ体験だった。
京都市役所前からバスで出町柳に出て、叡電に乗り換え八瀬、ケーブルカーで一息に上までやってきた。
ケーブルカーを降りると、ロープウェイには乗らず、旧い搬器の保存車体横の道を進む。延暦寺方向に向かうトレイル道より左下手にある山道は、ロープウェイの下をくぐったところで草むらが行く手を阻む。
『ポンプ室道に付き八瀬には下りられません 京福電鉄』
と書かれた看板の左側をさらに突き進むと、道はやや下りになる。杉林に入ったところの右手の木にロープが張ってあり、それを伝って3m程登ると、広くて平坦な道に出る。これが高祖谷駅を結ぶ参道に違いない。
「水揚3」と書かれた札のある電柱(この電柱の電線は通電しているようなので注意が必要)の先で崩落があったのか、ちょっと判りにくくなっているが道は左に曲がり、杉林の中へ続いている。道ばたには、懐かしい「Hi-Cオレンジ」の空き缶が転がっている。
もう役目を終えたと思われる電柱と電線に沿ってさらに行くと、緑色に塗られた電柱の先、右下の方にコンクリートの基礎が見えた。これかと思ったが、どうも小さい。さっきの看板にあったポンプ室かなんかの跡だろう。
古そうな排水路(水はない)を越えてさらに進むと、右側の小高い塚の向こうに、それはあった。高祖谷駅だ。
機械室と思われるコンクリートのしっかりした建物が残っていた。延暦寺駅では土に埋もれてしまっていたプラットホームの跡もハッキリと判る。
隣接する場所には事務室や待合室があったと思われる建物も残っていたが、こちらは崩壊寸前で、かろうじて建っている状態である。
機械室の方は、壁そのものはビクともしていないようだが、屋根が落ち、モルタルが今にも剥がれようとしていた。また、支索や曳索はもちろんのこと、それを固定していたと思われる機械類は全く見あたらず、深いピットが口を開けているだけであった。たしか戦時中の「不要不急路線」として休止された筈だから、全て供出されてしまったのだろう。
プラットホームに立っても延暦寺駅方向は見通せず、目の前に見える尾根のどこかにロープを支えていた鉄柱跡があるはずだが、よく判らない。
駅に別れを告げ、元来た方に戻ると直ぐ、右方向に登る山道があるのに気が付いた。階段を形成していたと見られる石段もところどころに残っていて、通れそうだったから、そちらへ進むことにする。道は斜面を直登し、やがてスキー場跡の建物の裏側に出た。下を振り返っても、もう駅は見えない。この森の中で、静かに時を刻むのであろう・・・。
当初の目的を果たした達成感より、なにか一抹の淋しさを抱えながら、ケーブルカーで下山。
それは忘れ去られたものへの哀悼か、それとも謎が一つ減ってしまったことへの寂寥感か・・・。
出町柳からバスで京都駅、JR伊勢丹地下1階の『アンデルセン』にて、復活した好物のパン、「チーズトレコン」を仕入れて帰宅。食欲は、沈んでいたココロも復活させたようで、全く現金なものだ。
ところで、帰ってから「Yahoo!地図」を見ていたら、この高祖谷駅らしき建物が地図上(標準地図、特大、1/1500)で確認できることに気が付いた。しかもその東北東約200m地点にも小さな構造物が・・・これはまさか、支柱跡!?
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